ちょっとキツめなお姉さん、細川さりか様観察日記

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2008年11月20日(木)

日本テレビ 魍魎の匣 第六話 『筥の事』@2008年11月11日

たとえトリックを用いて奇跡を行ったとしても同じ理屈で非難することはできない。

超能力者。トリックがあればお話にならない。直ちに偽者として糾弾されてしまう。

占い師。客の過去・現在の事を言い当てたとしてもこれはまだ仕事の入口にしかすぎない。占いの本分はその後、すなわち未来予測にあるからだ。過去の事を当てたのだから未来も当たる、と思うのが自然じゃないか?。そう思うのは客の勝手だよ。因果関係など何も無い。占い師が過去や現在の事を言い当てるのは言ってみれば客寄せの部分でこれにトリックがあったとしても未来に関してはきちんと自分なりの理論で占っているかもしれない。それは…詭弁だと言いかけてやめた。

霊能者。占い師と違ってその本分は未来予知にはない。彼らの目的は救済だ。障りを除くとも言う。彼らもまた奇跡をやって見せて信用を得るのだが、その先に行う祈祷や何かの効き目が増すのであれば文句を言う筋合いではないということになる。なるほど、客にとってはそちらの方が大事だと。今は精神科医による治療がそれに取って代わろうとしているが未だ霊能力より利くわけではないのはよく知っているだろう。そうなのだ、私のような患者の側からすれば治してくれるのなら医者でも霊能者でも構わない。

宗教者。霊能者と違って彼らの目的は布教だ。彼らもまた救済を口にするがそれは信仰によってのみ成されると唱えるのが霊能者との違いだ。この場合、奇跡は神の力だと言うだけでいい。そこにペテンがあれば神の力は大いに傷つくが教義自体が正しければこれもまた直ちに糾弾できるわけではない。批判の対象とすべきはあくまでその教義だ。修行して霊能を得る話はよく聞くが彼らは宗教者ではないのか。その先の話さ。その霊能を信仰や布教と無関係な部分で発揮した場合はやはり霊能者と呼ばれるべきだ。

注意しなければならないのは霊能者の周りに信者が集まり擬似宗教を形成していくような場合だ。この場合、多くはその信仰の対象が霊能者自身だ。もっとも釈迦やキリストへの崇敬も似たようなものだし周りに崇められているうちに霊能者本人もその気になっていくこともあるから性質が悪い。何れにしてもこの時教義を整理し教団を組織するのは周りの信者なんだ。教祖を担ぎ上げる輩がいるってことですね。

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